母へ 「強く生きていきます」

(読売新聞より)
あの日、自分を心配して高校まで迎えに来た母と高台を目指した。
突然、視界が真っ暗になり、気づくと海の中にいた。
「お母さーん」何度も叫んだが、辺りは静まり返ったまま。
近くの建物まで泳ぎ、助かったが、母と対面できたのは数日後、
遺体安置所だった。全てが信じられなかったが「落ち込んでいたら
母は喜ばない」と気丈に振る舞った。・・・「母からはたくさんのことを
学びました。私が生きている事がは母に対する一番の恩返し。」
そして「多くの人にささえられ、強く前を向いて生きていきます。」・・・

という記事を読みました。
あの日、あの一瞬で一体どれだけの方が苦しみ、悲しみ、津波を恨み、
絶望し、その尊い命を落としていったのか・・・。
新聞やテレビでは亡くなられた方々の人数を日々放送していましたが、
到底、数字で表す事などできる事のない人々の尊い命が失われてしまいました。
亡くなられたお母様は、最後の瞬間までどれだけわが子の無事を祈った事でしょう。
亡くなられた子どもたちは、どれだけ「お父さーん、お母さーん、助けて!助けて!」と声を
限りに叫んだ事でしょう。
震災から1年という時間は経ちました。
でも、あの日、2011年3月11日2時46分から、心の中の時の針は動いていないのです。
被災された方々の心の中の時の針を無理に動かす事は、誰にもできません。
ですが、私たちはそれでも私たちに出来る限りの事をしていかなくてはならないと思います。

 

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